2005-01-01から1年間の記事一覧

大塚英志 論壇の人っていうより、漫画原作者っていう方が有名かも。現在、「戦後民主主義の子供」なんて呼ばれちゃったりして、憲法擁護派、護憲運動なんてやっている。宮崎勤と関わり続けたひとっていうのもあるかな。原作者な現場ではよくよく出版社と喧嘩…

人を殺せと言われれば殺すのか

殺らなきゃ殺られる、それだけだろうが! ここ数年、話者によって百八十度も意味の変わってしまう単語が増えてきている。「人を殺せと言われれば殺すのか」という何だか凄い表題の本の中の文章のひとつ。 「何故人を殺してはいけないのか」。実際問われてい…

「クラスの女の子」たちのような健全さに向けて

主語故に情緒は生まれることでしょう。 藤たまきというあまり有名でない、モノローグのとても綺麗な作品を書く漫画家さんがいる。 わたしが彼女の作品に初遭遇したのは「私小説」という作品でだった。度重なる引越しのため手許にその本が残されていないため…

煩悶中

駄目だ。 最近酷い文章ばかり書いている。 書こうと思って書くものは駄目だね。 やっぱりそれなりの思いと知識とがないと――。 殆ど拒否反応的に臆面のなさを嫌う癖に、それを無理矢理語ろうなんてして臆面のない文章を書き記す感じ。 恥ずかしー…ケド、戒め…

主語の中の断絶

引用する私。 - кинохроника より引き続きオレンジレンジを引き合いにしてば。 ところで例のインタヴューでは彼等の振る舞いはこんな風に評されている。 高田延彦の自伝並みにシュートな発言だが、マジかジョークかはともかく、そこにネガティヴな要素をまっ…

引用する私。

しかし「引用」や「カヴァー」といったレトリックで自らの行為を語るとき、「オリジナル」はパレットの上の絵の具のごときただの素材として無化されて、「引用する主体」が作者としての特権を手に入れてしまう印象がある。つまり、「オリジナル」の作者の主…

悪人正義

ちょうど酒鬼薔薇聖人君と同じ年だった。 何故人を殺しては行けないのですか、なんて問いが流行したことを覚えている。その議論が真摯だったか陳腐だったかは置いておいて、まだあの頃はそういう受け止め方をするっていう方法が存在したのだなと思った。――あ…

飽食の僕

批評家、そしてマンガ原作者の大塚英志によれば、ナショナリズムはサブカルチャー化することにより、その認知度は高まり広まったという(『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』講談社現代新書より)。 確かに、その通り。端的に情況を表現しているコトバで…

政治的な事だといった時、何かを免責されるような気がする。

ニュースやブログなりをふらふらと見渡しながらやっぱり拭えない違和感に困惑してしまう。わたしは「反日教育」を必ずしも否定はできないと、やっぱり感じる。 陰謀史観みたいに、国によって煽られた中国国民とか捩れたナショナリズムとか色々な言葉を見かけ…

主語を失った述語は暴走する。

ところでわたしはこんな人文系っぽいことを書き殴っているけど、テレビも見ないような困った子である。 というわけで世界情勢には酷く疎かったりするのだけれど、今中国情勢ってどうなっちゃってるの? とまあそんなことをふあふあと考えているのはたてつづ…

世界の中心か片隅かは知らない、ところで喋る。

わたしは、フェミニスト、かもしれないひとです。 ――かもしれない、と言うとなんだか自分の立ち位置を曖昧にして安全圏でモノを喋ろうとしているみたいだなあ…。 そしてそう考えるわたしというやつはなんと自己防衛的なのだ、という果てのない自己分析にも似…

だってわたしはあなたじゃないもの、だけど…

ところでわたしは「『彼女たち』の連合赤軍」を読むまで「フェミニスト=女性に優しい男性」のことだと思っていた。 勿論フェミニズムなんてものは何も知らず、ただ何となく怖い女だとか「近づいてはいけないもの」として女性運動っぽいものを忌避していた。…

ナルシスティックな私小説は鼻につくものだとはわかれども。

ただの平凡な少女だった彼女を見出したプロデューサー、彼に手をひかれたシンデレラ、そんなマイ・フェア・レディ。 華原朋美ちゃんがそんなストーリーと一緒に売り出された女の子だった、のはまあ今更として、中谷美紀もそんな枠組みで歌を歌っていた。 だ…

テレビはわたしたちの合意の元にある、のだよね。

∇http://kaname.cc/index.php?pl=11/フジテレビVSライブドア、盛り上がっているみたい。 テレビの悪趣味化に辟易して活字メディアに撤退したわたしが口を出すのもお門違いな気がするけど(苦笑) わたしが耐え切れなかった悪趣味っていうのは、ナンシー関が…